聴聞の姿

写真集(その27)

 

 
3月25日(土)春季永代経法要/花まつり お釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」を合わせて行いました。「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり『正像末和讃』」のご讃題から御法話賜りました。   御講師の夏木一丸師(滋賀教区長浜組 浄願寺御住職)を囲んで.
 
春の永代経のお参りにて   永代経のお参りに合わせて、お釈迦様の誕生仏に甘茶をかけてお祝いしました。
 
5月21日(日) 御講師の富田祐尊師(岐阜教区 西濃南組浄円寺御住職)をお招きして降誕会が、勤修されました。「慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思の法海に流す。深く如来の衿哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝いよいよ重し。『教行信証』総序の文」のご讃題から御法話賜りました。   降誕会 お参りの様子
 
9月30日(土)秋季永代経法要が、葛野洋明師 (龍谷大学実践真宗学教授) をお迎えして勤修されました。「大行とは すなわち無礙劫如来の名(みな)を称するなり。この行は すなわちこれ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。行文類」をご讃題にお取次ぎ頂きました。私は、この度ご本山で転輪蔵(てんりんぞう)を拝観するご縁があり、その大きさと美しさに圧倒されました。転輪蔵とは、大蔵経(一切経)つまり、仏教の聖典を総集したもので、経・律・論の三蔵を中心に、それらの注釈書を加えたものです。これら経典の総てを収めた書庫となります。
  まず実感したことは、私が一生を費やしても、読み終えれないということです。法然上人も親鸞聖人も、このような大蔵経を読み、得るべくものも大きかったに違いありません。しかし、すべての人が救われ・自身も救われる法を、阿弥陀如来の念仏一つで救われるご本願のみ教えに見い出し、私たち伝えて下さいました。阿弥陀如来さまは、全てを用意された平等の慈悲を私たちに与えられましたが、スタートラインに平等を持ってきたのではなく、資質も性別も、環境もそれぞれ違う私たちに、結果の方を平等にされました。一人一人の平等ではなくて、人の資質にかかわらず、スタートラインをゴールとして用意された、一人一人に阿弥陀弥陀さまのお救いのすべてを用意されてたと思うと、本当に有り難く思いました。
 
本願寺境内にある経蔵と内部の写真↑↗(本願寺ホームページより)   9月末にもかかわらず、暑い中でのお参り、法味豊かな永代聞法会(もんぽうえ)でありました。
 
10月の常例法座の御講師は、中川南組蓮教寺御住職の高田篤敬先生でした。「しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖(七高僧)の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく、無量寿如来に帰命し、不可思議光に南无したてまつる。『行文類』」から、お取次ぎをいただきました。ひろさちや氏の譬えを引かれたお話は、言い得て妙でした。親猿と親猫の子どもを運ぶときには、対照的な特徴があります。猿は子ザルを、つかまらせて運びます。猫は子猫を口にくわえて運びます。子ザルは、親猿から手を離すことはできません(自力)。一方子ネコは、もう親におまかせです(他力)。   令和6年3月30日春季永代経・仏婦追弔会が、花岡静人先生(奈良教区 勝光寺御住職)をお迎えして 勤まりました。「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ・・・・」「親鸞聖人御消息」より、午前・午後の二座のお取次ぎを頂きました。
 
何とかコロナ禍をこえて勤めることができた御法座で、嬉しい限りです。   お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」も一緒に行われました。花祭りの正式名称は「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれ、甘茶を誕生仏(あかごのお釈迦さまの像)おかけすることに由来しています。「誕生仏(釈迦像)」を囲った小さなお堂の「花御堂(はなみどう)」が安置され、参拝者は誕生仏に甘茶をかけてお祝いします。花祭りでは、花御堂の誕生仏に、参拝者がひしゃくを使って甘茶をそそぐという習わしがあります。ご希望の方には、甘茶を持って帰って頂きました。
 
まだまだコロナに気を付けながら、3交代で昼食をいただいて、いただきました。 5月18日、親鸞聖人の御生誕をお祝いする降誕会法要が勤まりました。御講師に福岡教区西嘉穂組光妙寺前住職の中山信之師をおまねきしました。聖人の御生涯を『本願寺親鸞聖人絵伝』からお話し始めて、比叡山での堂僧の記録を『恵信尼文書』もとに紹介されました。そして昨年放映されたNHK大河ドラマ『どうする家康』のクライマックスシーンに於いて、「厭離穢土 欣求浄土」を掲げた家康が、大坂城落城にあたり、嫡子秀忠に「凡庸は、凡庸に徹すべし」の言葉を遺しました。そこには、罪悪深重の凡夫の自覚と共通するものがあった、と述べられました。
降誕会法要 最後に、遠藤周作の『沈黙』の主人公ロドリゴの棄教(教えを捨てること)に、ロドリゴは、神の許しの声を聞きます。遠藤氏のこの解釈の中に、浄土真宗の弥陀の救済の考えに影響を受けた所があるのではないでしょうかと指摘されます。たとえ私たちが、その救いに背をむけようとも、必ず摂めとって決して捨てないと南無阿弥陀仏のみ名にあらゆる功徳を込められています。罪悪深重の凡夫でも救われる世界から、凡夫なればこそ救わずにはおれないと誓われた弥陀のご本願の深淵さがあります。   常例法座 御講師の富田祐尊師(岐阜教区 西濃南組浄円寺御住職)をお招きしてつとまりました。ご讃題に「釈迦・弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまひけり」『高僧和讃』をお選びになられ、ご法話頂きました。
 
 
常例法座の様子。   『お経を習いましょう』ワッフル専門店のマサラで、修了式。1年間お世話になりました。
 
9月28日 秋季永代経法要並びに仏教婦人会報恩講が勤修されました。ご講師は、初めてのご縁となる花岡尚樹先生(奈良教区吉野北組浄迎寺様)で、あそかビハーラ病院に務められるビハーラ僧です。「物語としての生老病死を通して阿弥陀様のお慈悲を味わう」と題して、阿弥陀如来様の視点から見たいのち≠ノついて、とてもわかり易くお取次ぎしていただきました。   当日は、9月の終わりだというのに大変暑かったです。ご法座が終わって、何人もの御門徒さんから「とてもわかり易かった」「ありがたいお話でした」「また是非聞きたい」と言ったお声をいただき、大変うれしく思いました。
     
     
   
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 

 

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