葬儀は、人としての尊い生命(いのち)の終わりを親族・縁者が厳粛に受けとめ、ともにその死を悼み、人生無常のことわりに気づかせていただく大切な儀式であります。私たちが、まづ心に留めなければならない事は、故人は阿弥陀如来によって浄土へ往生して仏となり、残された私達を導いて下さる方でもあります。人の死を縁として、わたくしもも必ず死ぬという諸行無常のいのちを今生きている事実を受けとめ、その事実をまちがいなく解決して下さる阿弥陀如来のおはたらきに真摯に気づかなくてはなりません。私達は、この故人の死を通して生命の尊厳に目覚め、残された私達が仏縁を頂くことが、亡き方への本当の意味での供養になるのではないでしょうか。私たちはこの故人の尊い願いを受けとめる場として、葬儀に参列させていただくのです。
さて、山口県の豊浦地方では、真宗の門徒さん達をさして、「かんまん宗」と呼んでいたそうです。この「かんまん」とは、日の善し悪し・方角・まじない・風習などにけっして執われない自由な気風の真宗門徒さんたちをあらわした言葉だと思います。その地方の人々は、「日の善し悪し・方角・まじない・風習など」を尋ねられても、「かんまん、かんまん」(かまわないという意味)と気にせずにお念仏の日暮をおくったそうであります。蓮如上人は、「門徒ものしらず」と申しております。このものしらずとは、「物忌(ものい)み知らず」ということであり、真宗の門信徒は、「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない」という、浄土真宗の教章に述べられているように、根拠のない迷信に惑わされないように努めましょう。ですから、浄土真宗の葬儀では、世間一般で行われている次のような風習や言葉使いは、改めて行くようにしましょう。
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