蓮如上人のもとで聴聞に年月を重ねた道宗は赤尾に帰って、一日の嗜みと共に一月の嗜みとして当時蓮如上人の居られる井波の瑞泉寺へ参詣していました。ある元旦の晨朝(朝のお勤め)にお詣りするため峠の峯まで登ったがその年、雪深く先へ進めずとうてい朝の勤行に間に合わぬと思い、「懐中仏」をとりだし念仏していました。突然雪の中に船を曳いたような道がひらけており、それをたよりに無事井波へ着くことができました。まちかねていた上人は鐘と太鼓を同時にならし、勤行を始められました。以来井波の瑞泉寺の元旦のお参りには、鐘と太鼓を同時に打ち鳴らすようになったということでありました。
年に一度の嗜みとして赤尾の山奥から京の本願寺へ毎年参詣されました。或るとき道宗の妻は上人から何か心得やすきお言葉を戴いてほしいと依頼しました。京から遥々帰って来て草履をも脱がず妻に出して見せたのは「南無阿弥陀仏」の六字の名号でした。妻は見るなり意がはずれてしまいました。もっと何か細かく書きつけたものが欲しかったのです。道宗は妻の意を知るなり直ちに脱ぎかけた草履の紐を結び直して即座に今帰ってきた道を再び京へ引き返し、ご消息をいただいて来ました。
「後生の一大事命のあらんかぎり油断あるまじきこと」「心中を引き破る」「身を責め、心をせめて」と、わが身にわが心に怠慢しないよう、僑慢にならないよう、御仏のご恩を忘れないように夜は四十八願になぞらえて四十八本の割木の上に寝たということでした。棟方志功画伯が行徳寺を訪れ、道宗行臥の木像を拝して彼の念仏者なり・人となりに感銘して、道宗行臥の版画をつくられました。それが上記の版画であります。その他蓮如上人・道宗にまつわる宝物が、境内にある資料館にたくさん収められていました。 |