御門徒の柳原亮一さん寄贈の鳥類標本の記事が、平成13年6月26日岐阜新聞朝刊の第一面に大きく取り上げられました。亮一さん宅のお蔵には沢山の鳥の標本が収集されており、県に寄贈したことは知っていましたが、このように貴重な標本であったことは今朝の新聞を見るまでは、まったく知りませんでした。以下その記事の内容を紹介いたします。
明治から昭和にかけて日本や東アジア一帯の鳥獣を採取した折居彪二郎(おりいひょうじろう)の鳥類標本は日本唯一の鳥の研究所、山階(やましな)鳥類研究所に大半が所蔵されていますが、この「折居標本」の一部が岐阜市の旧家に約く800点も秘蔵されてたことが、岐阜県博物館の調査でわかりました。「折居標本」は、日本の鳥学研究に大きく貢献したばかりか、今もこの中から新種が発見されるなど鳥類分類学に重要な役割を果たしております。
岐阜市で見つかった「折居標本」はこれと同等のもので、保存状態も良好で、専門家は「全品が歴史的、学術的に貴重。よくぞ残った。」と評価しています。「折居標本」は一昨年九月、同市細畑の旧家、柳原亮一さん(82)から県博物館に寄贈された鳥類標本1521点(柳原コレクション)の一部です。標本目録を作成した説田健一県博物館学芸員と時田賢一我孫子市鳥の博物館学芸員によって確認されました。
折居(1883年〜1970年)は、大英博物館の資料収集を手伝ったのを機に採集家となりました。学者・研究者の依頼で明治から昭和初期にかけ、旧日本領の樺太・千島・満州・朝鮮半島から、委任統治していたパラオ・マーシャル諸島など東アジア一円で学術調査のための鳥獣採集に従事しました。
主な依頼者は山階鳥類研究所の始祖で鳥類学者の山階芳麿(1900年〜1989年)と、日本の動物学の創世記を築いた黒田長礼(1889年〜1978年)の二人。鳥類標本は主に山階に収められたが、黒田に収めた獣類標本は東京大空襲で消失しました。このため現存する「折居標本」は、山階のほかには北海道大植物園に約700点と、折居が居住した苫小牧市図書館に数点ある程度です。今回新たに約800点も発見されたことに研究者らは驚いています。
柳原さん所蔵の「折居標本」の多くは黒田、山階依頼の1932年〜1936年の台湾・旧満州・八重山・大東諸島の調査で得られたものです。1932年の台湾標本364点の中には、依頼主である山階のリストには載ってないものもありました。柳原コレクションは柳原さんの父要二さん(1892年〜1961年)の遺品です。要二さんは趣味で折居本人のほか、岐阜市や東京の標本業者から購入したり、著名な鳥類学者と交換したりして日本本土や小笠原諸島、朝鮮半島、中国、台湾など東アジアで採取した鳥類標本を収集。亮一さん夫婦と親子二代で大切に保管、まったく無傷のまま全品を県博物館に寄贈されました。
研究する姿の柳原五左衛門(要二)さん |
夏季特別展「あのころいた鳥」のポスター |
中には「折居標本」のほか、今では絶滅した小笠原のムコジマメグロ2体(1913年)や県内では未記録のサンカノゴイ2体(1921年、海津郡海津町ほか)とヒメクイナ(1918年、岐阜市)などもあり、標本全体では380種(亜種含む)にものぼりました。その大半に採取地や年月日、採集者を記したラベルが付けられており、歴史的・学術的価値が非常に高いことがわかりました。これらを採集コレクションされた柳原要二さんの鳥類学的知識と経済的基盤があったからこそ、最高の保存状態を維持できたのでしょう。県博物館では「柳原コレクション」を7月20日開幕の特別展「あのころいた鳥」(岐阜新聞・岐阜放送共催)で公開します。是非ご覧下さい。
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平成13年度夏季特別展「あのころいた鳥」
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