法話のページです。まだ少ないですが、焦らず少しずつ増やしていきましょう。
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「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」 十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる 「浄土和讃 弥陀経讃」
私がおりますお寺では、真っ白い綺麗な色をしたワンちゃんを飼っておりまして、名前をペロちゃんと言います。今日はこのペロちゃんの話を交えながら「阿弥陀様にいだかれる私」と題しまして、皆さんとご一緒に阿弥陀様のお救いをお聞かせ頂きたいと思います。 さて「阿弥陀様にいだかれる私」と言いましても、いついだかれるのでしょうか。また、阿弥陀様にいだかれるとは、どういう意味でしょうか。今日はこのことについて、お取次ぎさせて頂きたいと思います。 この御和讃ですが、この御和讃は親鸞聖人が残された数多くある中でも、非常に有名な御和讃でありまして、親鸞聖人が阿弥陀様のお徳をとても讃えられているんです。その内容を振り返ってみましょう。 「十方微塵世界」の「十方」とは、あまり聞き慣れないですね。ここで言う「十方」とは、東西南北や南東や北東などの四方八方と、上、下を加えた十方の世界を言います。つまり、本当にあらゆる世界という意味です。それも微塵とあります。私達が「木端微塵」と言いますように、細かく砕かれたもののように非常に小さく、数も非常に多いと言うように「十方微塵世界」とは、私達ではおもいはかることの出来ない数多くの世界つまり、あらゆる世界ということを表現しています。そんな十方の微塵世界にいるお念仏を称える者を御覧になった仏様が、「摂取してすてざれば」とありますように、仏様が救いの中に摂め取って、決して捨てる事はないよということであります。その仏様の救いの中に摂め取って念仏する者を、必ずお浄土に参る身とならさせる仏様を「阿弥陀様」とお呼びするという意味です。 つまりこの御和讃は、親鸞聖人が、浄土真宗のみ教えに生きる者を決して救いからもらすことのない阿弥陀様の「摂取不捨」のお徳を讃えられています。 私の住んでいるお寺は割と田舎なので、すぐお寺の裏に行きますと田んぼがあります。 ある日の事ですが、ペロちゃんを散歩させているとこんなことがありました。いつものように大好きな田んぼ道で臭いを嗅かせながら散歩していると、あまりにも突然に「グウーン」ッと強く引っ張り出したので、私は意表を突かれて、ペロちゃんを繋いでいるリードが手からスポット抜けてしまいました。そこからのペロちゃんは田んぼの中へ走りこんで行き、泥まみれになろうが関係ないと言わんばかりに走り回るわとやりたい放題です。そこでいくら私が「ペロ」っと名前を呼んでも戻ってくる気配もないですし、何回も何回も「ペロ」っと呼ぶとチラッとこちらをたまに向くくらいで、どうしようもない状況になってしまいました。出来るなら田んぼの中へと入っていって捕まえたいんですけど、田んぼの中は泥だらけですし、稲があったりと中々簡単には入ってはいけません。 しかし、いつまでも田んぼの脇から田んぼの中にいるペロちゃんに向かって「ペロ」ッと名前を呼んでいるだけでは時間だけが過ぎてしまうだけなので、私は意を決して田んぼの中へ入って行きました。私は一目散にペロちゃんの所へ行って連れて帰りたかったんですが、むやみやたらに声をかけながらペロちゃんに近づいていくと、私から逃げようと反対方向に行ってしまうんじゃないかと思いました。ですから私は、「ペロ」っと強く呼ぶのではなく「ペロちゃん」っと今まで出した事もない優しい声で刺激を与えないようにゆっくりゆっくりと近づいて行きました。その甲斐あって、なんとか田んぼの中で夢中になりながら遊んでいるペロちゃんまで辿り着くことが出来き、私はもう逃がしてはならないという想いでペロちゃんを「グウッと」抱きかかえながら田んぼ道に戻って、先程は手首にかけていただけのリードを何重にも巻きつけて、絶対に離さないぞっという思いで無事に家まで帰ることが出来ました。好き勝手に遊ぶペロちゃんは楽しくて楽しくてもう遊ぶ事に夢中だったんでしょうね。 そんなペロちゃんって実は私の姿でもあるんです。と言いますのは、私も小さい頃、ペロちゃんのように夢中になり過ぎて母親に心配をかけた事があります。それは大きなショッピングモールに母親と買い物に行った時なんですけど、自動扉が開いて「ダーッ」とまっしぐらに玩具コーナーへと行って好き勝手に遊んでいました。私が一人で走って行った時から母親から「至道」と名前を呼ばれていたのを聞こえてはいたのですけど、目の前の事に夢中で本当の意味では聞けていないんです。それからしばらく遊んでいたんですけど、突然後ろからドーンっと掴まれまして振り返ると母親が「あんたどこに行ってたん?ずっと探してたんよ」声をかけられました。私は母親のその一言を聞いて「あっ俺は好き勝手に遊んでいたけど、知らないうちに迷子になっていたのか。迷っているとも知らずに遊んでいたのか」っと初めて気付いたんです。母親は、私がショッピングモールの外に一人で出たんじゃないかとか、誘拐されたんじゃないかとかあれこれと心配していたそうです。さらに、母親は私の大好きなショッピングモールですから、私が着くや否や走って行く事くらい全部お見通しだったよっと言っていました。 私達と言うのも目の前の事に夢中になりすぎていて、自分の好き勝手に生きているんではないでしょうか。そして、自分が迷っていると言う事すらも知らないのが私達の本当の姿ではないでしょうか。自分の事なのに自分の事すらも分からない私達と言うのは、何て愚かなんでしょうか。 しかし、大変有難い事にそんな私達だからこそ、阿弥陀様はちゃんとお救いのお手立てを完成して下さっておられます。 それも阿弥陀様は全ての生きとし生けるものをご覧になって、全てのものを必ず救うぞという願いを持たれた仏様であります。この全てのものを必ず救うと言う願いでありますが、この私も・そして皆さん方お一人お一人もこの願いの中に含まれているということであります。 しかし、この私はと言いますと昔は、どこか自分とは関係のない話で、本当に我が事として聞けていなかったんです。ところが段々とお聴聞を重ねていると、ただお話として聞いている自分の姿にある時、気付かされました。まさに先程、母親の一言で自分が迷子になっているとも知らずに、迷子になっていたんだというようにです。 阿弥陀様はそんな私だからこそ、そのままにほっとけない、ここに田中至道というどうしようもない奴がおるから救わずにはいれないと阿弥陀様の方から「必ず救うから我が名を称えよ」と私が気付くずっと前からおはたらき下さっておられます。それは私の母親がショッピングモールに着く前から私の事を全部お見通しだったように、どこまでもそのおはたらきは届いています。
親鸞聖人は先程あげました御和讃の中に出て参りました「摂取」という所の横に左訓と言いまして、難しい語句の意味を優しい言葉で説明して下さっています。ではどのようにお示し下さっておるかと言いますと「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」とあります。阿弥陀様は、私に何があろうともどこまでもこの私を追いかけ摂め迎えとろうとおはたらき下さって、もう二度と私を逃がすことはありません。 この阿弥陀様の逃ぐるものをどこまでも追いかけ、おさめ迎えとって下さるおはたらきは、ご信心頂くその時まで私をお育て下されます。ご信心頂いた時、私たちは正しくお浄土に参ることが定まって、大安心の中で「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏の日暮をさせて頂くのであります。そして心豊かに生きていけるのです。 一番初めに阿弥陀様に抱かれるとは、いついだかれるのでしょうか。そして阿弥陀様にいだかれるとは、どういう意味なんでしょうか。と言いましたが、阿弥陀様は迷っていると言う事も知らずに、目の前の事に捉われているこの私を何とかして救おうと、その腕の中に私を抱き、私をお救いのど真ん中にして大いなる安心を与えようと、はるか昔からズーット至り届かせようとして下さっておられました。そのおはたらきに気付かされた時、つまり、ご信心頂いた時、私たちは阿弥陀様に抱かれてお浄土に参ることが定まるということでありました。今日はこのことを皆さんとご一緒にお聞かせ頂きました。
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有無の見(うむのけん) 朝夕お参りする、お馴染みの正信偈の中にも、また浄土和讃の中にも読まれている一節です。 『正信偈』に
釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命(ごくみょう)したまわく、南天竺に、龍樹大士世に出(い)でて、ことごとく、よく有無の見を摧(ざい)破せん
私の寺には、金魚や鯉、フナ、メダカなど色々な魚たちがいます。お参りに出かける前、帰って来てから、とコーヒーを飲みながら金魚や鯉たちに餌をあげるのが、私の日課になっています。それらの魚を飼っていると、病気になっていないか、餌をたくさん食べて大きくなってくれと、世話をするにつけ情というものがわいてきます。時に魚が死ぬと、かわいそうに思って、穴を堀り、庭の片隅に埋めて合掌をします。その一方で、日頃食卓で食べる魚には「やれうまいの、まずいの」と、文句を言ったあげくに、骨を台所のごみ箱に躊躇(ちゅうちょ)することなく捨ててしまいます。同じ魚なのにどうしてこうも違ってしまうのでしょうか。飼育して情のわいた魚には、死ねばかわいそうと思い、食卓の魚の骨は、ごみとして処理してしまうわがままを、情(なさけ)の有無によって差別しているのです。 このご和讃にある有無の見というのは、肯定と否定の二つの偏った心で、自分の都合によって「有」になったり、「無」になったりと、執着心が様々な迷いを生む原因になっていることを教えて下さっています。 ある時には信心の有ることを誇ってみたり、信心の無いことを悲しんでみたりと、どこかで「有無」に執われて悩んでいる凡夫の姿があります。阿弥陀如来様は、私たちの「有の見」「無の見」の偏執こそ、煩悩の所為(しわざ)と見抜かれて、久遠の昔から解脱の光明をもって、私たちのかたくなな心をやわらげ放つために、そのお力をそそぎくだされているのであります。 ややもすれば自分の喜びや、わずかな徳を積み重ねることによって、弥陀の救いにあづかろうとしています。しかし、私の側に根強く働いている知識・見識・功名心が、かえって疑いの闇を深くしています。今の私のままに、すべてをゆるし、喚びづめの如来様の声が、「まかせよ必ず救うぞ」のお念仏となって私に届いて下さる。その暖かい慈光を、解脱の光輪と親鸞さまはおさとし下さっているのであります。 合掌
悲しみから法悦へ 私は九十一歳になる一真宗門徒です。私は、十五の時から臼杵の町に奉公にあがりましたが、そのお陰で亡くなった主人に見込まれて縁づくことになりました。その後姑に仕え言うに言えぬ苦労をしました。そして独立して別所帯になった時には、箸一本から茶碗一つまで買い求めて商売を始めました。子供は五人生みましたが、最初の男の子は大病にかっかっているのもわからず、親の責任で死なせてしまいました。その頃は、人が笑うのを見るにつけあんなに笑えるような日が来るのだろうかと、思うように悲しかったのです。自分だけがこうゆう不幸に遭うのは、本当にどうしたことだろうかと思うようになりました。一番下の男の子が生まれた時に、ある人から「男の子が無事に育たないのは鬼子母神(きしぼじん)さまに頼まないからだ」と言われて以来、雨風が吹こうとも幼児を抱いて鬼子母神様に祈願に出かけました。 法華経の中に説かれる鬼子母神とは、五百人の子供があるのにもかかわらず、たった一人の自分の血を分けた子供がいなくなったことで、鬼子母神はきちがいのように捜し回ったという話が説かれています。それだけに、親というものはどんなに沢山の子供を持っていても誰一人として居なくなってもいいというような憎い子供もなければ、とりあえて可愛いという差別もありません。ただその死なせた子供ほど不憫(ふびん)でたまらないのです。 親の願いにもかかわらず、末の子供も三十日ほどの風邪で肺炎を起こして死んでしまいました。その子供を通して、さまざまな宗派の寺に足を運ぶご縁を頂きましたが、色々なお経をあげながら、主人から言われていた言葉を思い出しながら「ムッ」と腹が立ち、ハラハラしたり愚痴を言ったりしている自分が、仏様の御心にいちいち逆らっている気持ちになりました。それで、寺参りをしながら自分だけのお願いをする私を恥ずかしくなってきました。仏様は私の心を見通しているのに、私の行っていることと言えば、主人には「エエ私が悪うございました」と言い、姑にも同じように口では言って頭を下げていても、心の奴がどうしても自分の口や姿とは、その反対向きになっていたことに気が付いたのです。 その内浄土真宗のお寺にお参りをすることを勧められ、お寺のご院家(ごいんげ、住職の事)さんからもご案内を受けました。最初にお参りしていた頃は、寺に参っていても、手を合わせることさえ気恥ずかしいような拝み方で、ご布教の僧侶の方の顔が見えないところから聞いておりましたが、本当に自分の心をえぐられる様に説教される僧侶の人が、自分のことを知っていて話をするのではないかと思うようになり、いつの間にやら恥ずかしさを通り過ぎて、高座の前に座って聴聞しているのでした。 御文章をいただくようになり、「罪悪深重」というお言葉が、自分に当てはまるものですから、この『御文章』は、私にくだされたお言葉と思うようになりました。日頃主人から言われていたことに、初めて心から「あやまります」と懺悔する気持ちになってきました。そうすると主人から「おまえが真宗の寺へ参るようになったら、恐ろしゅう良くなった。お前が有難くなったら、俺まで有難くなった」と言うのです。そういうことがあって以来、夫婦そろって買い揃えたお念珠をなかよくして、楽しい聴聞の日暮が始まりました。 しかし、ある日主人から「お前のような悪い奴はおらんぞ」と言われて、「どこが悪いですな?言うてください。言わねばわかりません。悪い所があれば直しますから」と言って返したら、「それが悪い。俺がお前のような悪い奴はおらんと言うのに、そのどこが悪いかと取って返す。本物の悪さに気がついてない証拠だ」と言われました。その時までよくお念仏も喜んでいたけれ ども、そのことによって今まで頂いてきた信心が総崩れになってしまいました。私は今まで一体何を聞いていたのだろうか。本当に主人からあんな風に言われてみると、わけもわからず泣けてきました。けれどもどこをどう聞けばよいのかもわからず、たた悶々とした日が過ぎるうちに、フッと今まで一人で力んでいたハカライが融けて、素直に手を合わせることができたのは、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人が為なりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ」という、『歎異抄』のなかにある御開山聖人の飾りのない真の心に触れた時でした。唯々涙が出てとまりませんでした。しかし、それは悲しみの涙ではなく、悩み続けてきた闇のように暗い心が、明るさを得て解き放たれた法悦の涙だったのです。 今ではその主人も亡くなり、私一人ではありますが主人を通して、亡き子供を通して、頑固な私にも過去世より働きづめに聞かせようとした阿弥陀如来様の御本願を素直に受け取ることができたのです。そして「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし傷むべし」と明かされた聖人のお心を頂き、しみじみと語られた松本タズさんのお言葉を尊く思いました。 そして、松本タズさんの苦悩の人生の中に、親鸞聖人と同じように苦悩と絶望の人生に涙しながら、深い他力本願のみ教えに転入されてきた、尊く素晴らしい念仏者の生き様に妙好人の風香を感じました。 合掌
大悲の願船 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、ここ岐阜でも春の足音が聞こえてまいりました。 彼岸(パーラミター)とは、迷いの此岸に対することばで、悟りの彼の岸という意味であります。向うの岸は、阿弥陀如来のおられる浄土であり、真実の世界です。河をはさんで、向うの岸(彼岸)とこちらの岸(此岸)があり、その間を流れる河は、私たちの絶えず生起する煩悩をあらわしていると言われます。 彼岸に際していつも、「生死の苦海ほとりなし、ひさしく沈めるわれらをば、弥陀弘誓のふねのみぞ、のせてかならずわたしける」という親鸞聖人の御和讃がいつも私の頭に浮かんできます。 それは、衆生を見捨てられない、済度せずにはおれないという如来様のお救いが、本願の船にたとえられるその尊い弥陀のみ心の深さに、大きな信頼を感じるのです。この迷いの苦海にあって、とうてい私一人の善根を積んだとしても、渡れそうにもない己の罪悪性の深さ、広大さ を嘆くとき、そっと西方より呼びかけられる声が聞こえてくる気がします。 私は、快適で便利なあの飛行機が嫌いです。飛んでいる最中、地に足がつきません。飛行機に乗る前には、「老少不定(死ぬ順番は、老いも若きもまったく関係ない)なのだから」と、もう死出の旅路に出かけるような覚悟をして乗り込みます。他人から見られれば、もう余程の臆病者にしか見られないでしょう。 さて、サンフランシスコを飛び立った日本航空001便の中で、そんなことを思い煩いながら、ふと見下ろすといつもは下から眺めている景色とは逆に、雲海の遥か上方を飛んでいるのでした。四百人近い乗客と一緒に、一刻一刻と故国日本に近づいているのだと思うと、嬉しくてたまりません。「あとは何の心配もいらない。大きな飛行機に身を任せるしかないよ。」と思うと、さっきまでの緊張感が薄れて、だんだんと安心感に変わってきました。そんな自分の思いなどとは無関係に、飛行機は白い飛行機雲を引きながら飛び続けています。 広大な太平洋をひと跨(また)ぎするジャンボジェット機は、親鸞聖人が「難思弘誓は、難度海を度する大船」とたとえられた、そのもののようにこの身を運んでくれたのです。遥か下方に見える雲海とは、迷いの雲であり、広大な太平洋は生死の苦海であり、私を運ぶ飛行機は弥陀の願船であり、帰れる故国とはお浄土であり、帰りを久しく待つ父母とはまさしく阿弥陀如来さまではないでしょうか。 人生における安堵感とは、心からこの身をまかせられることから生まれ来るのではないでしょうか。
合掌 |
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「そのままのすがたで」 いつもお世話になっていますガソリンスタンドへ給油に行ったときのことです。お店の従業員さんが「御院さん。私もお寺へ行ってお話を聞かないといけませんね。」と話しかけてくれました。「それはいいことですね。いつでもお参りに来てください。」と返事をしますと、その方は「お寺へ行って、お話を聞いて、きれいな善い心にしてもらわないといけません。」と言われるのです。 おそらく同じような考えを持って仏教を見ている方は、結構多いのではないでしょうか。お寺へ行き法話を聞くことによって、私達のきたない心が清らかな心に浄化されていく効能があると思いがちですね。 ではお釈迦様や親鸞聖人はどのように考えていらしたのでしょうか? お釈迦様は、縁起の法をお説きになられました。縁起の法とは相互依存関係とも説明できますが、すべてのものごとは例外なく原因・条件・結果の連鎖の中で、関係が成り立ってきています。私自身のあり方も、過去の原因、それにつづく縁(諸条件)が複雑に関わりあいながら、結果を生み出していきます。ですから当時より信じられていた運命論を、お釈迦様は強く否定されたのです。そして縁起説の中で、私達の苦しみの根本原因を、ずばり「無明」とおっしゃられました。無明とは「無智」のことであり、正しいものの見方ができないことを言います。他の言い方で言えば、「私が、俺が、私達が、」の「我」を張るだけの日暮しになっています。そのような自己中心的な考え方に執着している私自身をとりあげ、内省したみ教えが仏教の中心にあります。 仏様の教えを「仏法」という言い方もします。「仏法は鉄砲の反対だ。鉄砲は外を撃つが、仏法は内を撃つ。」と言われております。外に向かってことばの弾を撃ち続けて、人を傷つけている「鉄砲の日暮し」の私達の生活になっています。仏法を聞くとは、今まで苦しみの原因が外にあるとばかり思えていた私が、内を見ることを教わるのです。道元禅師は「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり」ともおっしゃられています。まさしく自分自身のありのままの姿を知ることに仏教の出発点はあり、仏教を解く鍵があります。 仏法を聞くとは、汚い心が、きれいな心になっていくのではなく、自分自身の心のあり様をそのままに見ていくことです。自己中心的なものの考え方にとらわれて、なかなかその束縛から抜け出ることができず、そのような考え方をしているということ自体に気がつかない私達の心の闇を、無明とお釈迦様はおっしゃられたのです。 親鸞聖人は、仏法を聞いてきれいな心になりなさいとは言いませんでした。無明であり・自己中心的であり・煩悩まみれの私達に、「そのままの姿で、おいでなさい。」と仰っておられます。 「尽十方の無碍光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かならず滅土にいたらしむ」『高僧和讃585-a2』と聖人は、讃嘆されました。 親鸞様は、阿弥陀如来さまの智慧と慈悲のお徳をたのもしく感じられました。小さな「我」に執われ、周りを傷つけながら生きる私達を、しっかりと支え、生かし続けてくださる大きなはたらきを阿弥陀仏といい、そのはたらきを他力といいます。一刻も早く「我」の殻から救い出せれるよう呼び続けられているのが、南無阿弥陀仏のお念仏なのです。 合掌
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