蓮如上人の御跡を慕いて

 

光徳寺

 

光徳寺は、滋賀県大津市本堅田にある真宗大谷派の寺院です。延元元年(1336年)本願寺代三世覚如上人の教導により天台宗より浄土真宗に転派し、慶長七年(1602年)本願寺東西分派により、真宗大谷派になりました。

 

光徳寺本堂

光徳寺本堂内陣

堅田の源兵衛親子の話をモチーフにした銅像。

境内地にある源兵衛の墓

 

蓮如上人は比叡山延暦寺僧兵から御開山聖人の御真影(ご木像)を守るために、その対立勢力であった三井寺に預けていました。その後文明十二年(1480年)山科本願寺が建立されて、門徒衆が御真影をお迎えしようと三井寺に赴かれたところ、「人間の生首二つ持って来い」と無理難題を持ち出してきました。これを伝え聞いた上人は、困惑され日夜心痛なされていました。当時光徳寺の門徒衆に篤信の源右衛門・源兵衛という漁夫の父子がいました。この難題に 源右衛門・源兵衛親子は、日ごろのご恩に報いたいと、首を差し出す決意をしました。父源右衛門は、息子源兵衛の首を持ち三井寺へ赴きました。しかし、三井寺は「もう一つ首が足らない」と 詰め寄ると、もとより覚悟の父源右衛門は、「自分の首を取ってくれ」と言った。三井寺は堅田の源右衛門・源兵衛親子の殉教心に感じ入り、御真影と源兵衛の首を返してくれました。その後父源右衛門は、諸国巡礼の旅の末、備後国(広島県)で没したと伝えられています。 このストーリーは、節段説教などにも題材にされている有名なお話です。

 

町内には地元の文人の碑が建てられておりました。

彦根藩主の揮毫

本福寺

 

開基の善道は、八幡太郎義家の弟の義綱の子孫といわれ、師の本願寺第3代法主覚如を助けて、本願寺の復興に尽くし、堅田門徒の帰依をあつくしました。蓮如上人は、布教活動の第一歩を堅田を拠点として始めたといわれています。寛正六年(1465年)に比叡山の衆徒が真宗を弾圧したため、蓮如上人はこの本福寺に身を寄せ、堅田門徒は団結し山門勢3000人に対抗して蓮如の布教を成功させました。

 

蓮如上人500回忌を記念して、再建された本福寺本堂。

お蔵の向うには幼稚園があり、子供たちの元気な声が境内地の至るところからしていました。

前住職さんの熱心なご説明がありました。

本福寺本堂内陣

三井本家から移された御内佛

蓮如上人坐像

親鸞聖人直筆十字名号

二尊御影

 

 

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