聴聞の姿

写真集(その25)

 

 

2月の常例法座大野大五郎先生(岐阜教区 長良組妙徳寺)をお招きしました。「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国―願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、同じく菩提心を発(おこ)して、安楽国に往生せん」善導大師の「観経玄義分」 から御讃題を頂きました。      3月30日(土)春季永代経法要並びに仏教婦人会々員追悼法要が勤まりました。御講師の先生は、 夏木一丸先生(滋賀教区長浜組 浄願寺御住職) です。濁世の有情をあはれみて 勢至念仏すすめしむ 信心のひとを摂取して浄土に帰入せしめけり」の浄土和讃から御讃題を頂きました。末法の濁世なる現代、五つの汚れに私たちは直面しています。すなわち @劫濁(こうじょく)。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。A見濁(けんじょく)。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。B煩悩濁(ぼんのうじょく)。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の煩悩が盛んになること。C衆生濁(しゅじょうじょく)。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。D命濁(みょうじょく)。衆生の寿命が次第に短くなることです。この勢至とは、法然上人のことであり、広く念仏をすすめられました。さて、念仏とは称名とは名号とは何でありましょうか?これらはすべて「南無阿弥陀仏」です。しかし呼び方が違うということは、意味あってのことでしょうね。念仏は心に憶念すること。称名は、声に出して称える念仏。名号は正信偈さまに「本願名号正定業」にありますように、名号(法体:ほったい)、阿弥陀如来の本願からわき出た南無阿弥陀仏です。正定業・・・まさしく仏さまの働きです。私の心に届き、声となりて名号から働きかけられている阿弥陀如来の声なのです。称えなければ救われない、称えたから救われるナムアミダブツではなく、阿弥陀如来の願いの働きかけなのです。
 
午後の席は、「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなはち穢身すてはてて  法性常楽証せしむ」『高僧和讃』からご讃題を頂きました。人生の完成はお浄土でのさとりですが、この世で阿弥陀如来のご本願、智慧と慈悲のはたらきである南無阿弥陀仏をいただくことが信心であり、往生浄土が決まることです。阿弥陀経さまの中で「倶会一処」といわれるお浄土は、清浄仏国土の言葉からきています。「清」は、もともとが清らかなるもの。「浄」は、汚きものが浄化されるという意があります。   故に浄土(清浄仏国土)とは、汚きものは浄化して清らかなるものにして、清らかなるものはそのままに、受け取っていく場所なのでありましょう。それでは私が浄土に生まれる因(いん・たね)は、何なのでしょうか?これは我々が善行を重ねることを言うのではなく、信心正因(親鸞聖人)・念仏以本(法然上人)と仰っられているように、私が信じて、念仏してお浄土に行くことではなく、信心も念仏も阿弥陀如来様の側から届けられている働き、本願力廻向の働きかけなのです。
 
お寺のカメラ倶楽部の作品展示です。   ガラスに反射した光を抑える偏光フィルターを使えば、反射をもう少し抑えられたかと思います。
 
4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。   伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてん がゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。またこの時に、お釈迦さまの誕生を祝った竜王が甘露の雨を降らせたとも伝えられています。 これらの故事にのっとり「花まつり」には、「花御堂(はなみどう)」を飾り、その中央には釈迦誕生仏を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかにお祝いされます。
 
4月の常例法座森下広大先生(岐阜教区 飛騨組眞光寺)をお招きしました。「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」『正像末和讃』よりご讃題をいただきました。まづここで「仏さまの願い」についてお話ししましょう。普段「願う」と言いますと、私から仏さまへ何がしの願い・要望を祈ります。しかし親鸞聖人が仰っています阿弥陀様の願いは、阿弥陀様からの私に向けての願いを聞いていくことなのです。私から仏に近づこうと修行に励みますと、油断をすると退転(ふりだしに戻る)してしまいます。仏の願いを聞き開き、念仏する人はみな不退転(落ちることがない・ふりだしに戻らない)の位に安住します。「苦悩の有情をすてずして」は、苦悩している私を決して見捨てることはない、苦悩しているそのままに抱きとると親鸞聖人は言い切っておられます。救いの目当ては私であったのです。「回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」は、阿弥陀様の廻向(お働き)を第一にして、そのお慈悲の働きかけは、み教えに出会った時間の遠近に関係はないのです。   令和元年最初の法座になりました降誕会法要です。富田祐尊先生(岐阜教区 西濃南組浄円寺)にお越しいただきました。降誕会法要は、親鸞聖人のご誕生をお祝いする法要です。「和顔愛語にして、意を先にして承問(じょうもん)す」『仏説無量寿経』よりご讃題をいただきました。親鸞聖人の御生涯を振り返り、恵信尼公さまとの30年ほどの生活の中にあって、お互いに観音さまの化身と相敬われていました。それは「恵信尼文書」に以下のようなのお言葉でも語られています。「ある新築の御堂で、厳かに堂供養が行われていました。堂前の鳥居のようなものの横木に、二幅の絵像本尊がかかっています。一幅の尊形は、明らかに拝せられましたが、もう一幅は、ただ金色に輝いて、尊容が分かりません。そこで傍の参詣者に「あの光り輝いている方は、何仏でしょうか」と尋ねると、「あの光ばかりでいられるのは勢至菩薩で、今の法然上人である」との事です。「では、もう一幅の尊形は」と聞くと、「あれは、大悲の観音菩薩で、親鸞聖人である」と告げられたところで、目が覚めました。翌朝、そのことを親鸞聖人に申し上げると、「夢には種々あるが、それはまことだ。法然上人は、勢至菩薩のご化身に間違いない」と仰せられました。しかし、どうしても、恵信尼さまは、親鸞聖人が観音菩薩の化身であるとのお告げは、はばかって申し上げられませんでした。それ以来、心中深く思い留めて、恭敬の真心でお仕えしてきました。どうかあなた(覚信尼)も、「わが父は、このようなお方」と心得ていてもらいたいのです。」 恵信尼さまが40年余り、誰にも語らず深く胸に秘めていた事を、覚信尼さまにそっと漏らされたものです。ご夫婦お互いを観音菩薩として尊敬し合っていたのです。皆様とご一緒に聖人ご夫妻を思い、「和顔愛語」の念仏生活をおくらさせていただきたいものです。
 
6月の常例法座田下暁文先生(岐阜教区 丸一組 教泉寺)がお越しになられました。『歎異抄』第一条の「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。」のご讃題を頂きました。「間違いだらけのお仏壇」ということで、お仏壇のお給仕のお話でした。   今月の「お経を習いましょう」は、最終日ということで、紅茶とワッフルが美味しくて有名な「マサラ」でお茶会でした。来季は10月から報恩講さまで読まれるのお経の練習と正信偈/阿弥陀経の写経に挑戦します。本願寺ブックセンターやアマゾンにも本願寺関係の写経のテキストが出ていました。
 
7月24日(水) 本願寺伝道院布教使実習法話会が開催されました。これは、本願寺伝道院に在籍する青年僧侶の方々が、100日間に渡って、布教使なる為のきびしい研修を受けます。その中で、地方の寺院に赴き実際に法話をする実習を行います。この度2人の実習生、聴講生1人 と御指導の御講師が、当山にお越し頂きました。   長野教区の蜷大喜さん・京都教区の野川大真さんが、緊張の面むきの中、真摯に御法話をされました。続いてご指導の花岡静人先生(奈良教区)が、受講生のお話を受け、お取次ぎされました。ご讃題→ご讃題の意味→ご自身の体験→法悦と素晴らしいご法話でした。楽しい中にも、感銘深い聴聞のひと時を過ごさせて頂きました。本当にありがとうございました。
 
51回学生のお経を習いましょうが無事終了しました。夏の恒例行事です。今年は長雨のせいか参加者が少なくさみしかったですが、みんな元気に「お正信偈」を練習しました。これからもこの素晴らしい行事を続けて行きたいですね。 9月28日(土) 秋季永代経法要・仏婦報恩講 ご講師に中央仏教学院の御講師をされている植田真豊先生をお招きいたしました。 「慈光はるかにかぶらしめ ひかりのいたるところには 法喜をうとぞのべたまう 大安慰を帰命せよ」(浄土和讃)中央仏教学院の教鞭も務めてこられた博学・温和なの布教使さんではあります。 慈光とは、なにものにも妨げられない、仏さまから私への光にたとえられる慈しみの働きかけです。慈光はの慈しみは、妨げるものなく、差しさわりもなく、人生に大いなる恵みと安らぎを与えてくれるものです。法喜は、そのみ光りを頂いた身の上には、もれなく、かならずみ法の喜びが恵まれます。人生のどのような荒波にもまれようとも、安心はびくともしません。
そして、広島出身の住岡夜晃師の『讃嘆の詩』をご紹介されました。「火事があったら亡んでしまう程度の幸福がある 老人になったら亡んでしまう程度の幸福がある 貧しくなったら消えてしまう程度の幸福がある 病気になったら消えてしまう程度の幸福がある 今の立場から去ったら無くなってしまう程度の幸福がある 死が来たら何もなくなる程度の幸福がある われわれは深く考えてみたい」と。まことに悲惨で厳しい状況に陥っても、だからこそ大丈夫といえるべきものを頂いておくべきです。事無きこと・若さ・富財産・健康を根拠としたものがひっくりかえっても、逆にそれらから見えてくる幸せもあるのではないでしょうか。
 
また岡本かの子さんは、『老妓抄』で「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」と述べられていますね。年を取ったからこそ、味わえることもあります。鹿児島の医師によると、年代ごとにピークを迎える能力に違いがあるそうです。おそらくビジネスインサイダーの記事を参考にされていると思います。
18歳・・・記憶力に優れる。22歳・・・人の名前をよく覚えられる。32歳・・・人の顔みて覚えられる。43歳・・・集中力がピークに達する。48歳・・・感情認識力(相手の感情を感じ取られる)が優れる。50歳・・・新しいものを学んで理解できる。67歳・・・語彙力に秀でて、言葉を広く使いこなせる。74歳・・・幸せを感じる能力を自分にも相手にも与える。82歳・・・色々なものに感謝して、幸せを感じ取る能力。
”The ages you're the smartest at everything throughout your life”
                                                                                 Business Insider 7/31/2017

If you think you've already witnessed the rise and fall of your peak self, researchers have news for you: As far as your intelligence is concerned, you likely have several new highs to look forward to. Some of them, like the ability to read others' emotions or do basic arithmetic, don't arrive until middle age or beyond."At almost any given age, most of us are getting better at some things and worse at others," Joshua Hartshorne, an MIT cognitive science researcher and the lead author of a study looking at how intelligence changes as we age, told Business Insider. The team behind that study quizzed thousands of people aged 10-90 on their ability to do things like remember lists of words, recognize faces, learn names, and do math. Their results suggest that no matter your age, there's almost always a new peak on the horizon.
  https://www.businessinsider.com/smartest-age-for-everything-math-vocabulary-memory-2017-https://image.businessinsider.com/597b4215b50ab126008b5429?width=700&format=jpeg&auto=webp
Overall brain processing power and detail memory peaks around age 18.
The ability to learn unfamiliar names peaks at 22.
Peak facial recognition ability occurs around 32.
Concentration abilities peak around age 43.
We're the best at identifying others' emotions at 48.
The ability to do basic arithmetic peaks at age 50.
Peak ability to learn and understand new information also occurs around age 50.
Peak vocabulary skills happen around age 67.
 
仏教婦人会の皆さんのお陰でお掃除から、お斎の準備までご苦労様でした。境内大銀杏のギンナン拾いまで、して頂いて恐縮です。台風19号で全部のギンナンが落ちました。家族総出で後かたずけしました。   11月23日(土)・24日(日)の両日、当山の報恩講が勤まりました。ご講師に葛野洋明先生(龍谷大学実践真宗学教授)をお招きしました。 「『唯除』といふはただ除くということばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」(尊号真像銘文)から御讃題を頂きました。報恩講には、親鸞聖人の御生涯を描いた四幅の御絵伝が懸架されます。その三幅目の一番上に、山伏弁円と親鸞聖人との対面が描かれています。それは、「稲田の草庵時代、板敷山で聖人を待ち伏せし殺害しようとした山伏弁円は、ことごとく失敗。ついには草庵まで押しかけて襲った弁円は、聖人とご対面するや、弓刀を捨てて親鸞聖人の前にひれふした。そして念仏の教えに帰した弁円は、明法房証信と名のる。」というストーリです。
 
今まで私は、聖人の柔和なご尊顔を拝して、一瞬にして罪を悔い念仏者になられたと想像していました。でも弁円ご自身は、真剣に修験道に打ち込み、本気で悟りの道を求めていたのです。それこそ親鸞聖人が、仏敵に見えたことでしょう。けれども聖人の「修行もいらず、こころ散り乱れたままの私を救うという、弥陀の本願力廻向の教え」を承り、素直に廻心されたのでしょう。「明法御房の御往生のことをまのあたりきき候ふも、うれしく候ふ。ひとびとの御こころざしも、ありがたくおぼえ候ふ。」(末燈鈔)と後年京都にいた親鸞聖人のもとに、明法房(弁円)の往生の知らせが届きました。『末燈鈔』の「うれしく候ふ」は、明法房が死んで良かったという意味ではなく、「この世で弥陀の仏縁に触れ、ご信心をいただき、ついに浄土往生を遂げられたのですね。」と、亡くなられた事に惜別するも、往生の素懐を遂げられたことを喜ばれたのであります。   後席は、正定聚と関連して『愚禿鈔』から、「本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり」についてお取次ぎ頂きました。前念命終とは古い無明の心(煩悩まみれの、自己中のエゴいっぱい、迷いのさなかにいる私)が死滅することであり、後念即生は阿弥陀仏の本願力回向によって、自身が新しい自己につくりかえられ、正定聚の仲間に入り、仏さまの心の中に生きることと聞かせて頂くことであります。今日、報恩講で読まれた『五十六億和讃』に「真実信心うるゆへに すなはち定聚に いりぬれば 補処の弥勒に おなじくて 无上覚を さとるなり」と述べらるように、正定聚不退の位に住するということでありましょう。聖人は、死んで浄土に往生してからではなく、現世において信を得た時に正定聚の数に入り、次に必ず成仏される弥勒菩薩と同じ不退転(迷いの世界に転落することがない)の位に定まるとされ、無上覚とも等正覚とも如来に等しいとも、説き示されました。
 
好評な報恩講アトラクション・ジャズダンス。『マーちゃん & オブッパンズ』によるダンス。曲名は、NHK朝ドラの「まんぷく」からです。スマホ動画を撮り、各自練習。わずか2回の合同練習でしたが、楽しくてすごく素敵でした。 報恩講法要で展示された【カメラ倶楽部】の皆さんの写真をコラージュしてみました。
 
12月の常例法座は、高田篤敬先生(岐阜教区中川南組蓮教寺)にお越し頂きました。「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲(えつ)して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく」『教行信証』の巻末」からご讃題をいただきました。この季節は、各寺院で報恩講さまがつとまっております。親鸞聖人のご苦労を偲び、その御恩徳に思いを巡らせます。宗祖親鸞聖人はなぜ、比叡のお山を下りたのでしょうか?聖人19歳の時奈良の南都六宗の勉学に行かれる途中、夢を見られその中で聖徳太子が現れ「日本は大乗仏教が弘まるにふさわしい土地である。あきらかに聴けあきらかに聴け、わたしが教えるところを。おまえの寿命はあと10余歳しかない。」と言われる。親鸞聖人にとっては一大事の事。それからも比叡山でのご修業にて身命かえりみず、励まれました。しかしながら、10年が経ち一向に悟りを開けない自分に嘆かれ、ついには京都六角堂に百日間の参籠に向かわれます。このことが、後の師法然上人との邂逅につながりました。宗祖の大いなる恩徳により、今私たちはお念仏の道に出逢わせて頂けました。本当に有り難いことでございます。   さあこれから、除夜の鐘です。
鐘ををついた後、本堂で修正会(元旦のお参り)が勤まります。
 
暖冬と思いきや、大晦日急に寒さが増しました。   自分の番が来るまで待っているところです。寒い中ご苦労さまです。

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