聴聞の姿

写真集(その20)

 

   
平成26年度2月の常例法座寺西良夫師(高岡教区氷見東組 明厳寺)をお招きしました。 寒中の常例法座ではありましたが、有り難くも楽しく聴聞させていただきました。正信偈「成等覚証大涅槃必至滅度願成就 等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。」の御讃題からのご法話は、微に入り細にに入り、例話も豊富で本当に素晴らしい法座になりました。たとえ凡愚がつたなくも命を終わるとしても、弥陀同体のお悟りの身にさせて頂き、涅槃に入っても、一処に留まることなく、還相摂化の菩薩となり後の者を導いてくれます。日頃から自分のモノサシを基準に、執着に執われている私を目当てにし、「救いたい」と働き続けている阿弥陀如来様の御手廻しに、力強さを感じさせて頂きました。   3月30日(日春季永代経法要並びに仏教婦人会追悼法要が勤まりました。この日の御講師に、龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授の葛野洋明先生をお招きいたしました。 朝の永代経には『尊号真像銘文』より「弥陀の誓願は無明長夜のおほきなるともしびなり。なんぞ智慧のまなこ闇しと悲しまんやとおもへとなり。」を御讃題にお話いただきました。闇の中にいる者にはその闇の深さを知りません。ひとたび光に照らされると,、たとえ永年続いた暗闇であっても一瞬にしてその闇が破られます。如来様の智慧の光明は、私たちの人生の灯火であります。午後からの仏教婦人会々員物故者追悼法要には、『教行信証行巻中正信偈』より「広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す。」を御讃題にお話いただきました。至心(まことの心)・信楽(疑いのない心)・欲生(浄土に往生したいという心)三心は、信楽の一心におさまります。ご本願の広大なお徳をあらわすために至心と欲生が説かれ、信楽が往生の正因になります。信楽(疑いのない心)は、阿弥陀如来さまから廻向(ふりむけられた)されたものであり、たとえ如来様に背をむけて、浄土に参りたいとも思わない私たちを、浄土に生まれさせたいと願われています。ご信心には如来様のまことの心・疑いのない心・浄土に往生させたいという心が円に備わり、凡夫の素性を見極められた如来様から、たまわりたるものです。例話も豊富で楽しく、本当に素晴らしい御法縁に恵まれました。
     
4月6日(日)午前10時より初参式(仏のこどもの集い)が開催されました。婦人会や大学生のお手伝いもあり、大変助かりました。「ちかい」・・・一、ほとけの子は すなおにみ教えをききます。一、ほとけの子は かならず約束をまもります。一、ほとけの子は いつも本当のことをいいます。一、ほとけの子は にこにこ仕事をいたします。一、ほとけの子は やさしい心を忘れません・・・を一同唱和しました。これから仏様のみ教えを聞いて、ともに人生を歩み始めます。   4月8日は、お釈迦さまの誕生日。お釈迦さまのご生誕をお祝いする花祭りがとりおこなわれました。釈迦族のお妃であるマーヤ夫人は、出産のためにご自身の生家のお城へ帰る途中ルンビニーの花園へ立ち寄られ、休息をとりました。花々は美しく、香しいを発していました。その花を手にとろうとされた、その刹那にゴータマ・シッダールタ(お釈迦さま)が、マーヤ夫人の右脇から生まれたと言われます。さらに、シッダールタ太子は七歩進み「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之」と宣言されました。天からは太子の生誕を祝い、花びらが舞い降り、甘露なる雨が降り注いだと言われます。
     
横浜から「淡青会」という五街道(東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道)走破をめざす方々が、偶然にもこの「花祭り」のご縁に巡りあわれました。    釈迦誕生仏に甘茶をかけて、それぞれにお参りして頂きました。合掌する方々の後ろ姿からも、仏さまを敬う美しさと敬虔さを感じました。 
 
「淡青会」44名の方々は、当日鵜沼宿から加納宿までの4里7町(約17km)を無事歩かれました。爽やかな天候と爽やかな人々に囲まれた楽しい一日でした。   月の常例法座天野信定先生(岐阜教区黒野組專教寺)をお招きいたしました。急な変更とお忙しい日曜日にもかかわらず、ご法話をいただきました。今話題になっているSTAP細胞の話題にも触れ、例え不老不死の医術が発展しても、人間は本当の幸せを獲得することはできないでしょう。曇鸞大師のお話のとうりに、「三蔵法師の菩提流支(ぼだいるし)との出あいによって、永遠の寿(いのち)を説いた教えを授かり、長生不死の迷信を説く仙経を焼きすてて、仏の願いの国をよりどころにされた」ことは、今私たちが進むべき人生の方向性を指し示しているのではないでしょうか。
   
5月17日(土)親鸞聖人のご誕生をお祝いする降誕会法要が勤修されました。御講師は、岐阜教区 西濃南組浄円寺ご住職の富田祐尊先生です。『顕浄土真実教行証文類序』「円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は疑を除き証を獲しむる真理なり」から御讃題をいただきました。私達は花の咲くことばかり愛でていますが、そこには花びらが散ってしまう「花の命の終焉」も内在しています。有名な親鸞聖人お得度の言葉に「明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と御開山聖人ご自身両親との死別という無常の世界を幼くして経験されていらっしゃいます。円融(まどかにとけこむ)・至徳(最高の徳)の嘉号(阿弥陀仏の名号、み名)は、悪(老病死:考えたくないもの・さけたいもの)を転じて徳を生ずる正智であります。そして、得がたい金剛の信心は、疑いを除いてさとりを得させてくださるまことの道であると知ることができるのです。教義的にも大変難しい所ではありましたが、例話やユーモアも交えながら、先生の言葉としてお取次ぎいただきました。新緑の五月の季節に、先生の爽やかな声が堂内に染み渡る御法座でした。   6月7日(土)「仏教が教える健康で長生き」を講題に田畑正久先生(大分県宇佐市佐藤第二病院院長・龍谷大学実践真宗学教授)をお招きして、初めての公開仏教文化講座が開催されました。田畑先生と仏教とのご縁は、九大医学部の学生時代に仏教青年会というサークルに入り、福岡教育大の化学の教授だった細川巌先生(故人)を知ったのがきっかけでした。やがて外科医になった田畑先生は、さまざまな患者に出会い、時に医療の限界を意識しました。その隙間を埋めるのは学び続けた仏法の教えだったたのです。医学は科学的量の重要性から、医療の質が求められる時代になりました。医療も仏教も生老病死という同じ課題に臨んでいます。しかし、医学は老病死を良い状態へ戻すことが使命ではありますが、現実には老病死の解決には限界があります。仏教は、私の今の現状をそのままに受容することです。クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し手足の自由を失った星野富弘さんは、「命がいちばんだと思っていたころ 生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」と述べられていらっしゃいます。健康とは、@身体的A精神的B社会的に健全であることと、日本の医療法の定義がなされています。今、世界はWHOが提唱するCSpiritual(霊性的健康)----言葉的にはキリスト教からのものですが、今後世界の医療に中心的な考え方になろうことが予測されています。@人間として生かされた現象をどう考えるか。A生かされていることで私に与えられた使命とは何かB死んでいくもの(事)をどう考えるか。これらに答えうるものが、私たち仏教界・浄土真宗のみ教えの中にあるのです。阿弥陀如来の15願には、「設我得佛 國中人天 壽命無能限量 除其本願 脩短自在 若不爾者 不取正覺」平易に申しますと「浄土の世界に生まれるものは、本当の長寿が恵まれます。ただし、命の長短に執われるものを除く」。本当の意味での長生きは命の長短に執われないことであります。因縁によって生かされていることに気がつかされたら、私は生かされる使命をはたさなければなりません。求めること・取ることばかりに夢中になっていた私が、これからの人生、報恩行(大いなる恩恵を受けて、おかげさまの心から、感謝のお念仏を申す日暮)に励みたいものです。
 

6月13日(金)常例法座が、渋谷泰典先生(岐阜教区華陽組真宗寺) をお招きして開かれました。「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀の弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」高僧和讃から御讃題を頂きました。お釈迦さまのお弟子の一人、周利槃特(チューダ・パンタカ)は、自分の名前も覚えられぬ頭の足りない人だったそうです。しかしお釈迦様のお導きにより悟りを開かれました。お釈迦様は私たちに「違ってていいんだよ。あなたは、あなたのままでいいんだよ。」と共生・共鳴・共存の道をさとされました。最後に、高田敏子さんの詩「水の心」を紹介されました。「 水はつかめません 水はすくうのです 指をぴったりつけて そおっと 大切に 水はつかめません 水はつつむのです 二つの手の中に そおっと 大切に 水のこころも 人のこころも 」 あたたかい言葉に、心が少し軽くなりました。



7月23日(水)布教使実習法話会が、開催されました。これは、本願寺伝道院に在籍する青年僧侶の方々が、100日間に渡って、布教使なる為のきびしい研修を受けます。その中で、地方の寺院に赴き実際に法話をする実習を行います。この度2人の実習生、聴講生1人 と指導 の御講師が、当山にお越し頂きました。平慈敬師(安芸教区広陵組西應寺)が最初にお話下さいました。「如来の作願をたづぬれば、苦悩の有情を捨てずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」を御讃題でした。 ご自身が大病を患う前から、母親は自分の容態をすでに気づき、入院中もずっと付き添ってくれた慈しみは、阿弥陀如来さまのお悲心と通じるものがあります。如来さまは、凡夫のさまを見通され、決して見捨てることがない大悲心となって、私たちに働きかけ続けられています。

 

岩男真智師(熊本教区託麻組光輪寺)は、「弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」を御讃題にお話頂きました。 ナモアミダブツの呼び声とは、何を呼びかけているいるのでしょうか。それは苦しみ悩む私たちに、苦しみを除くとよびかけておられます。最たるものは、死の苦しみであります。私たちに如来さまは、お浄土という世界をたてられ、すべてのものを救おうとされ、如来の仰せをそのままに受け入れることをご信心と申します。その 有様を私は、ある御門徒のご婦人の姿に拝見させていただきました。   指導の御講師、井上慶真師(長野教区飯山組正行寺)は、「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき  功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」 を御讃題にお話頂きました。 休憩をはさみ前座のお二人の法話も引き継ぎながら、柔和にお話を始めました。今はこうして指導する立場にあるわけですけれども、私も数十年前は同じように、緊張し失敗を重ねながらお育てに あずかっております。龍谷大学修士課程を卒業し実家のお寺に帰って、初めて経験した枕経は「往生」という言葉を考える貴重なものになりました。94歳で亡くなられた御門徒のお婆ちゃんを ご親族の方々は、「大往生だ、大往生だ。良かった、良かった。」と口々にとなえています。ふと疑問に思いました。大往生に年齢の基準があるのでしょうか。それでは中往生、小往生はいったい何歳になるのでしょうか。私の母は、68歳で亡くなりました。その時の光景は忘れることができません。自分を産み育ててくれた母の葬儀。寺の本堂から母の棺が運びだされる時の悲しみは、身を引き裂かれる思いでした。また近所の側溝で遊んでいた小学校3年生 の男の子、9歳でした。雪解け水で大量に流れる側溝に落ちて、その短い命を終えました。94歳で亡くなられた御門徒のお婆ちゃんは、大往生。68歳で亡くなった母は、中往生。側溝に落ちて亡くなった小学校3年生の男の子は、小往生でしょうか?悲しいかな私たちは、自分の色眼鏡でしか物事を見ることが出来ません。往生に大も中も小もありません。親鸞聖人は、生命の尊厳性・平等性を尊ばれました。みんな等しく仏と成らせて頂く大切な「いのち」であり、往生なのです=阿弥陀如来のお浄土に生まれることなんですね。

 

第46回「お経を習いましょう」本日無事終了。お東の坂下先生には早朝より、6日間大変お世話になりました。   子供たちは閉式後、それぞれに修了証書と記念品をうけとり、笑いにつつまれて帰宅して行きました。みんなお家でも仏さまの前で、『正信偈』を読経するそうです。

 

9月27日(土秋季永代経法要並びに仏教婦人 会報恩講が勤まりました。中央仏教学院・同志社大学御講師されている鎌田宗雲先生をお招きいたしました。 「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と『高僧和讃』から御讃題を頂き、御法話をされました。 阿弥陀仏が法蔵菩薩であられた時、四十八の願いを建てられ、「すべてのものを必ず救いたい。もし救われなければ、私は仏にならない(若不生者、不取正覚)」と仰られました。普通に考えますと、「私を信じなさい。そうすれば救われます」というのが、一般的な考え方ですが、法蔵菩薩は私たちの救いを先に考えられました。此岸の世界に身を置く・・・娑婆の身は、腹も立ち、欲も多く、愚痴ばかりの生活です。煩悩の束縛から解き放たれない私たち凡夫の素性を見超されて(仏かねてしろしめして)、如来からの救いの先働きが「南無阿弥陀仏」の名号となって私たちに、今届いています。   また、長生きするだけが最良ではありません。親から頂いた生命(いのち)を、「有り難うございます。お蔭様で」と、感謝して生かさせて頂きたいものです。                                                  甲斐和里子さんは、「み仏の み名を称える わが声は わが声ながら 尊かりけり」と歌に詠まれました。ご自分の称えるお念仏の中に、阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏」の声をお聞きになられていらっしゃるのです。この歌を詠むたびに、私の心が温まります。そして、私の好きなシルバー川柳をご紹介しましょう。「おじぎして 共によろける クラス会」「お医者さま パソコン見ずに 俺を見て」「白内障 術後びっくり シミとシワ」・・・齢を重ねても、微笑ましい日々を送りましょう。

11月22日(土)と23日(日)の両日当山の報恩講が勤修されました。御講師は、久堀勝敏先生(奈良教区光雲寺前住職)で、今回は御文章の中で一番親しまれている『聖人一流章』をテーマにお取次ぎいただきました。聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。その位を「一念発起入正定之聚」とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

現代語でいうと、親鸞聖人から伝わっているみ教えは、信心をもって、もっとも大切なこととされています。そのわけは、もろもろの雑行を行じる自力の心を投げ捨てて、ふたごころなく阿弥陀さまの仰せに従うならば、人知でははかり知れぬ仏の本願力によって、仏の方から人びとの往生を決定してくださるからです。それによってわたくしどもが入ることのできる位を、曇鸞大師の『往生論註』には、「一念発起入正定之聚(本願を信ずる心が起こったそのとき、往生が定まり、かならず仏となる者たちの位に入る)」とも註釈されています。そして、そのうえの称名念仏は、如来がわたくしどもの浄土往生を定めてくださったご恩にお応えするためのお念仏であるとお受け入れください。ああもったいないことであります。おそれおおいことであります。
大変お忙しくお疲れのところにもかかわらず、信心決定(しんじんけつじょう)の大切さを御法話の中に述べられていました。『御文章』は、百あるものを十に、十あるものを一に して、肝心肝要の教義を凝縮したものであります。「信心を根本にしなはれ。日頃の聴聞が大切ですよ。もう時間が残されていないのだから。若い時から気かにゃ。」だから、『御一代記聞書171』には、「往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしらぬことなり」ありがいですの。自分がまず聞かせてもらわなければなりません。

また、覚如上人撰述 の『最要鈔』を度々引かれて、「信心をまことの心とよむうえは、凡夫の迷心にはあらず、まったく仏心なり。この仏心を凡夫にさずけしめたもうた時、信心とはいわるるなり。」・・・・・・私たちは、この信心という言葉を聞きますと自らが上を仰ぎ見て、お願いして授かるもののように思えますが、全くの逆になります。訳しますと、信心をまことの心と読むのですから、それは凡夫の迷っている心ではなく、全くの仏の心ということです。だから、この仏心が、凡夫に授けられることを、信心というのであります。
 

お座の間の昼休み。日向ぼっこしている様子・・・・・なんだか微笑ましくなりました。

こちらはこちらで、コーヒータイム。

12月の常例法座に岐阜教区中川南組蓮教寺さまの高田篤敬先生にお越し頂きました。「清風、ときに発りて五つの音声を出す。微妙にして宮・商、自然にあひ和す。」と『仏説無量寿経』よりの御讃題からお話いただきました。 12月31日年納めの除夜の鐘です。今年の除夜会・修正会は、ことさら寒くこの後元旦の早朝から雪になりました。

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