聴聞の姿

写真集(その23)

 

 
平成29年今年の常例法座も始まりました。2月の常例法座寺西良夫先生(高岡教区 氷見東組明厳寺ご住職)をお招きしました。寒い中のご法座ではありましたが、有り難くも 心静かに聴聞させていただきました。 「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべすと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。」と『歎異抄』第二条をご讃題に御法話をすすめられました。関東の門弟の方々は、身命をかけて親鸞聖人のもとに「往生極楽の道」を求めて訪ねられました。ありしも二月は、節分です。私たちは地獄の世界を我が外の世界に見ます。しかし、「とても地獄は一定すみかぞかし」と自己の内に見ていらっしゃった親鸞さまは、お師匠さまの法然上人から「怨親・愛憎の者たちをも救われる万民救済の道」が説かれた如来さまの御本願に依る事が、唯一の道であります。法然上人の悲しい生い立ちもお話しされ ました。「法然上人は、美作の国現在の岡山県にお生まれになりました。幼名は勢至丸(せいしまる)。父親は漆間時国(うるまときくに)といい、その土地の豪族で押領使を務めていました。延7年(1141年)9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が父に夜討をしかけて殺害してしまうが、その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった、母方の叔父の観覚のもとに引き取られました。勢至丸のその秀才ぶりを見込まれて比叡山で出家します。」そのような、生い立ちの中、末法の世にあって念仏こそが万民の救われる道と後につづく僧侶・信徒・・・・・老若男女に灯火を掲げるように導かれました。そして、如来さまのご本願は、働きづめに働き続けておられるとご讃嘆されました。本当に素晴らしいご法縁を結んで頂き、ありがとうございました。   3月25日(土春季永代経法要並びに仏教婦人会々員追悼法要が勤まりました。中央仏教学院の御講師をされている植田真豊先生をお招きいたしました。 「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と『高僧和讃』から御讃題を頂き、御法話をされました。私たちは日頃から聴聞させて頂いていますと、「生老病死」についてよくお話をお聞かせにあずかります。「生老病死」は、順番に訪れるものでもありません。時には、老病を飛び越えて生→死に到ることもあります。そのようなお話が進む御法話の最中、ご門徒の一人が、意識を失って救急車で病院に運ばれるというハプニングがありました。皆さんも我がことのように心配され、救急車が到着するまで、できる限りの事をしました。幸い何事もなくすぐに退院されたとの知らせに、安堵いたしました。私たちの住む世界は、娑婆であり世間であります。無明煩悩によって本当に自分自身を見ることができません。これに対して仏の智慧によってなりたっている世界を出世間(しゅっせけん)といいます。しかし、世間と出世間は、隔絶したものではないのです。出世間の世界から「一切恐懼 為作大安 すべての恐れおののく者たちに、(阿弥陀如来が)大いなる平安をもたらそう。」と活発に、積極的に働きかけられています。ちょうど干潟が潮の満ち欠けを利用して海水を浄化するように、真如法性の世界から来生して煩悩まみれの凡夫を救済します。そして、煩悩具足・・・完璧に煩悩が一つも欠けることなく具わっている私が、仏法のお働きによってわが身の本当の姿を知らされることによって、凡夫は凡夫でも、目指すべき先を知らされている世間に生きているのです。 「聞法に心あらわれ 私の地金(じがね)があらわれる」と龍谷大学実践新宗学大学院教授の貴島信行先生のお言葉をご紹介されました。まだまだ寒い三月の終わりでしが、ほんに温かいお話を受け、感謝でいっぱいです。
 
前総代の堀征二さんがこの度叙勲を受けられ、永代経の場をお借りして御本山より受けられた褒章の授与式が執り行われまあした。長年岐阜市会議員として、市政への参画と地域・社会貢献が認めれました。今後もご健勝にてご活躍のこと念願しております。   カメラ倶楽部の第二回目の展示会も、法事机を二段重ねにして飾られました。20点の作品が出品されました。カメラ俱楽部会員で昨年亡くなられた柳原肇さんの遺作も出展され、参詣の皆様も故人を偲びながら鑑賞されていました。

 

3月31日(金)伝灯報告法要に参拝してまいりました。本願寺の第25代御門主専如さまのご継承の法要でした。あいにくの雨模様。寒い上にクジ引きで住職が御影堂最後列の席をひいてしまい、障子の開け閉めの度に冷たい風が入り、震え上がるほどでした。皆さんすみません。しかし、新御門主様のお言葉やご家族紹介など、心温まるメッセージでした。最後に、名神高速羽島インター付近で追突事故が発生。長い長い渋滞に巻き込まれてしまったものの、バス車内で映画「がばいばあちゃん」を鑑賞する事ができました。楽しい一時でした。 4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてん がゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。またこの時に、お釈迦さまの誕生を祝った竜王が甘露の雨を降らせたとも伝えられています。 これらの故事にのっとり「花まつり」には、「花御堂(はなみどう)」を飾り、その中央には釈迦誕生仏を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかにお祝いされます。

 

4月13日(木)常例法座が勤まりました。森下広大先生(岐阜教区 飛騨組眞光寺)をお迎えしてお勤めしました。今回で二回目のご法縁でした。「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(阿弥陀さまのお救いのはたらきのなかで生きている人で、この世を空しく過ごす人はいません。それは阿弥陀さまの功徳がその人に海のように満ち溢れるようになるからです。汚れた水のような煩悩も、そのはたらきを遮ることはないのです。」と『高僧和讃』から御讃題を頂きました。「むなしくすぐるひとぞなき」は、自分自身にとっても難しい言葉でした。自分の目線で物事を見ると、「むなしくすぎない人生」についてわからくなってしまいます。むなしく過ごしている今の自分の姿が、見えないのです。阿弥陀さまのお心に触れると、「むなしくさせない」という仏さまの目線で、お慈悲の心が届いてきます。「お念仏がこぼれる」という表現もありますね。今までにあずかってきたご縁にもよおされて口からこぼれてくる、ついて出てくる。これも阿弥陀如来さまからの先働きがあったらればこそであります。「煩悩の濁水へだてなし」も知識として聞いていくのではなく、わたくし事・わたくし事と聞かせて頂くところに、仏法に向き合って生かさせていただく尊い道が開けるのではないでしょうか。   5月の降誕会法要は、ご講師急用のため住職が代わりに法話を担当しましたので、写真と記事が ありません。ごめんなさいね。

6月13日(火)常例法座岐阜教区中川北組圓勝寺ご 住職の橘行信先生をお迎えして勤まりました。 まづ最初に『拝読 浄土真宗のみ教え』から「先立った方々を思えば、在りし日の面影を懐かしく思うとともに、言いようのない寂しさを覚える。 親鸞聖人は、お弟子に宛(あ)てた手紙の中で仰せになる。 浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし 再び会うことのできる世界がそこにある。今ここで、同じ信心をいただき、ともに阿弥陀如来の救いにあずかっている。だからこそ、かならず浄土に生まれて再び会える確かさを今よろこぶことができる。本願の教えに出あえた時、今ここで救われ、再び会うことのできる世界が恵まれる」を拝読・紹介されました。父正信師・ご門徒姉妹さんとの別れを通して、これからの住職としての重責を担う不安に、先に往かれた者は、自分の知識(仏の道へ誘い導く人・機縁)となって、自分に働きかけ下さっています。親鸞聖人は、『正信偈』の冒頭から「無量寿(慈悲)・無量光(智慧)の如来さま」に「帰命します・南無します」と仰ってくださっています。わたくしは、今このご本願に出会えたことを、感謝をもって喜ばさせて頂いております。

 

7月26日(水)布教使実習法話会が、開催されました。これは、本願寺伝道院で布教使になるために百日間の研修を受け、その一環として地方寺院で法話の実践練習を重ねるものです。猛暑のこの日は、梅雨明けで非常に蒸し暑く、先生・研修生・御門徒の方々、ともに道中大変なことだったでしょう。指導教官の朝戸臣統先生(岐阜教区飛騨組神通寺御住職)と共に、 好井正智さん(大阪教区)・佐々木了俊さん(東京教区)・千田匡真さん(東京教区)の3人の実習生の方々がみえられました。好井さんは、阿弥陀如来さまの「......苦悩の有情を捨てずして.......」を中心に、ご自身が経験された親しくしてきた伯父との悲しい別れをお話しされました。「悲しみの中に悲しみだけにはしないぞ」という如来さまのお念仏の働きを感じる事が出来ました。   佐々木さんは、「大悲無倦」ということについて。ご自身のセールスマンとして就職するにあたり、父の厳しい言葉を振り切って寺を離れたけれども、その仕事を辞めて帰ってきて自坊の報恩講に出勤しようとした時には、父は法衣を新調して自分を待っていてくれました。ふくれた水風船が破れるように、 自己中心的な一面を知らされ、父の私に対する思いを知ることが出来ました。阿弥陀さまの大悲は、自己中心的な私を救いの目当てとしていてくださるのです。最後に、指導教官の朝戸臣統 先生は、浄土和讃の「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」をご讃題に法話実習をしめくくられました。それぞれに貴重な御法話を頂戴することができました。大変お世話になりました。

 

第49回夏休み「お経を習いましょう」が無事終了ました。お東とお西の子供さんたちとの合同写真です。『正信偈』の草譜と行譜の練習をしました。お経もとっても上手になりました。 坂下先生ご指導ありがとうございました。お話も楽しみにして来てくれているようです。夏休みのお寺の行事を、これからも覚えてくれていると嬉しいです。「三つ子の魂百まで」といいます。六年生にとっては最後の「お経を習いましょう」ですが、中学生になってもまた参加して下さいね。来年は、第50回記念の「お経を習いましょう」子供会になります。   9月30日(土) 秋季永代経法要・仏婦報恩講がつとまりました。 ご講師に葛野洋明先生(龍谷大学実践真宗学教授)でした。 「円満の徳号、専称を勧む 三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅、同じく悲引す。」正信偈道綽禅師讃から御讃題を頂きました。葛野先生は、同月岐阜別院にて寺族青年会主催の『安心論題』のご講師でもありました。その冒頭講義に出席した住職の要望もあって葛野先生の『安心論題』から話を進められました。恥ずかしながら私は、『安心論題』と聞くと難しいもの・制約をさせるものという先入観がありました。しかし、安心の領解を受けて角(範疇)を明らかにしていくと、自身の実践の教化活動にも幅が広がるというお話は目から鱗でした。

 

それで、先生は例として3つの問題を出されました。A.お念仏ひとつのお救い。B.お念仏を称える者は救われる。C.お念仏を称えたら救われる。御門徒の皆様もどきどきしながらそれぞれの質問に挙手しました。信心の有り様をお聞かせ頂きながら、阿弥陀如来さまの「淳心」「一心」「相続心」の三つを示されました。他力の信心を言われたものです。三不三信の当てにならない私が、阿弥陀如来さまから間違いのない他力のご信心を賜るというお取次ぎは、パワフルでした。   10月13日(金)常例法座がつとまりました。御講師は、織田宗卯先生 (岐阜教区 黒野明照寺)です。「ここに祖師聖人の化導によって、法蔵因位の本誓を聴く、歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。しかればすなわち、報じても報ずべきは大悲の仏恩、謝しても謝すべきは師長の遺徳なり。」(報恩講私記-式文)。私が私の姿を知るのは鏡 ですけれども、己のこころを知らせしめるのは、仏法であり、仏の光明です。先生の故郷島根県の妙好人の善太郎さんのお話もご紹介されました。若いころは相当な悪徒であったらしい。村の人から「毛虫の悪太郎」と嫌われていましたが、逆縁から仏法に耳を傾けるようになり、稀代の念仏者になられました。

 

11月25日(土)・26日(日)の両日、当山の報恩講が勤まりました。

  御講師の先生は、 夏木一丸先生(滋賀教区長浜組 浄願寺御住職) です。「ここに祖師聖人の化導によって、法蔵因位の本誓を聴く、歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。しかればすなわち、報じても報ずべきは大悲の仏恩、謝しても謝すべきは師長の遺徳なり。」(報恩講私記 - 式文)よりお話し頂きました。聖人の生涯、御生誕から師法然上人の選択本願のお念仏に出遇われるまでの御苦難のお話。そして後席、最期は御自防に帰りたいとの希望をかなえられて、前坊守様のお世話をされたお話は、限りあるいのちが限りのない阿弥陀如来さまの無量寿の尊いいのちの世界に帰って行かれたことを、有り難く気づかさせて頂きました。聖人のお言葉に「なほ磁石のごとし、本願の因を吸ふがゆゑに」(教行信証行巻より) 釘は磁石によって吸いつかれる。釘には、新しい物も古い物もある。又まっすぐな物もあれば、曲がったものもある。けれどもそれらすべてへだてなく引きよされる。阿弥陀如来さまのご本願は、「この私の為なのです」よっと。強く熱く語って頂きました。

 

婦人会からのご寄付によって、昨年から机・椅子席になりました。

 

お同行に誘われて、新しくお見えになられた方もいらっしゃいます。

 

カメラ倶楽部三回目の展示会です。

 

カメラ倶楽部三回目の展示会です。

 

報恩講アトラクション・ジャズダンス。『マーちゃん & オブッパンズ』結成。曲名はNHK朝ドラ「ひよっこ」からです。わずか3回の練習でしたが、楽しく素敵でした。

  12月常例法座に、高田篤敬先生(岐阜教区中川南組蓮教寺)にお越し頂きました。 「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる」(教行信証・行巻)を御讃題に御法話を頂きました。宗祖親鸞聖人は、「生死出ずべき道」を求めて仏道修行に志し、のち法然上人の念仏一つで救済される他力の教えに出遇われました。「善を成し、悪をやめること」は、仏道であります。『七仏通誡偈』には、「諸悪莫作(しょあくまくさ) もろもろの悪を作すこと莫く(なく)、衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)  もろもろの善を行う」は、言うは易く、実行することは、大変難しい事であります。白楽天と鳥巣禅師、王舎城の悲劇のお話等、感銘深いものがありました。

 

これから除夜会の始まります。

 

これから除夜会の始まります。

 

雨もやみ、午後11時45分から鐘をつきます。

 

幻想的な夜空と鐘楼

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